俺も以前は、そんな価値観の中で生きていた。
だから、どこか男尊女卑的な立ち振る舞いをして優越感に浸ったり、
他の男、つまり、「他のオス」に自分の力を誇示しようとするわけだ。
が、それは男として、実は半人前なのだ。
マクロビオティックや東洋哲学に触れ、陰陽でいろんな物事を見ていくと、
男の中にも女性性があるんだということを認めざるを得なくなってくる。
自分の女性性を認めてこそ、ひとつの完全な個になるというか。
だからといって、別にナヨナヨしろとか、そういうことを言ってるわけじゃない。
自分の中の、柔らかい部分を認める、受け入れるということだ。
たとえば、花を見て「きれいだなー、可愛いなー」と感じることとか、
時には、目的や結論の無い、とりとめのない話をペチャクチャするとか、
そういう自分もアリだなーって認めることだ。
なにげに、家庭料理をしたり、花を花瓶に生けたりする感性を持ちつつ、
時には自分の女や何かを守るために、
猛々しく吼えたり戦える据わった肝を持つ、
そんなことができる男がカッチョエエなーと思う。
そして、一番大切なのは、「自分は弱い」ということを認めることだ。
「母は強し」とかいう場合を除き、基本的に女性は弱い。
女性は弱くていい。
男は、弱くてはいけない。
だけど、自分の弱さを受け入れられなければ、本当に強いとは言えない。
弱さを受け入れない男は、虚勢を張っているだけだ。
ただの動物だ。
優れた格闘家だって、達観した人はみんな、自分の弱さを知っている。
だから強いのだ。
自分の女性性を認めてこそ、男として一人前なんじゃないかな。
男性があんまり男らしすぎると、神経がチリチリして被害妄想になり、臆病で神経質、劣等感が強いというふうになってしまいます。また、女っぽい男性は図々しくて、厚かましくて、「矢でも鉄砲でも持ってこい」と、いうふうになってしまいます。私のように。
また最近の若い女性は女丸出しになってしまい、開き直って恥知らず、ヤングオバタリアンとでも言うしかない娘ばかり。あれは<女100%>だからなのです。もともと女性というのは強くて世にはばかる生き物ですから。
やはり女性も男性のひ弱な、繊細な部分、ちょっとコンプレックスを持っているようなおずおずとしたところと、女の図太さ、生命力の強さ、神経の太いところ、度胸のすわっているところ、その両方を、ほどほどに兼ね備えるように意識して、努力をしないといけません。
女と男のどちらが<正>とも<負>ともいえませんが、陰陽の法則、つまり≪正負の法則≫に則ってバランスをとる努力をすべきなのです。
ご苦労なさっている中小企業のおじさんたちも、女性の強さを取り入れ、もう少し図々しく開き直れば、自殺するようなことはないでしょう。女に学べということです。
そうした男らしい神経を持ったおじさんたちは、ゲイバーにでも勤めて、ニューハーフになる勉強でもしたらいかがなものでしょうか? なぜなら、ニューハーフの中には根性の弱いのなんて誰もいませんから。
『愛する権利』美輪明宏
この地球の常識など 愛の宇宙じゃ小さなもの
どこの国の神も法も 愛を禁じる権利はない
裁くことは出来やしないさ
人が人を愛することは悪ではない罪ではない
男が女を
女が女を
男が男を
年寄りが若者を
異国人同士が愛し合っても
人間同士が愛し合う事に変わりはない
殺したわけでも 盗んだわけでもないのだから
人は誰も 幸福になる権利がある
私も又 孤独と闘い 人生に傷つき
血を流して 代償を払った
どんな力も奪えるものか
この権利を守り抜くのだ
やっと手にした愛の権利を
貴方を愛する権利を
http://www.youtube.com/watch?v=3dfUxVFGXG4